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批判と否定は、何が違うのか。

「ネットは批判されるのが怖い」という使い方はします。
ですが、「ネットは否定されるのが怖い」とは聞きません。
批判と否定は、似て非なるものです。

・批判 …物事の真偽や善悪を批評し判定すること。*
・否定 …そうでないと打ち消すこと。認めないこと。*


批判と否定、なぜか社会人になると否定はタブーになります。
就活の面接やグループディスカッションで、他人の意見を否定するとほぼ100%落とされます。

それはなぜか、協調性がないと判断されるからです。
字の如く、ディスカッション(議論)とは物事の真偽を判定する場です。
つまり「批判」をしなければなりません。
ですから、そこで「違う、あり得ない」と否定をしてしまっては筋違いなのです。






では、会話における批判・否定の違いはなんでしょうか。
 ・例えば、「無免許で運転した人が事故で人を殺してしまった」とします。
 ・ある人が「クズすぎる、死刑にしてもいい」と声をあげました。


この言動に対する否定は、なんでしょうか。
打ち消すだけでいいので、これで完成です。
 ・「それは違う」
 ・「それは残酷過ぎる」

ですが、これでは議論になりませんし、有益性がありません。
そのため、こういった意見は価値がありません。

一個人の感想であり、感情に流されすぎています。





では、この言動に対する批判は何になるのでしょうか。
 ・「死刑はおかしい。なにか原因があるはずだから、それを調べる必要がある」
 ・「人を殺したから、殺せというのは違う。その人の分まで生きて償うべきだ」
 ・「死刑に値することを犯したが、どんな法律に該当するのか調べよう」


再三ですが、批判とは物事の真偽を判定することです。
それゆえに感情ではなく、理性をもってして判断しなければなりません。

そして判断を下すためには、賢くなければいけません。
また人を裁ける精神力をもった人がいなければなりません。
だから司法のプロフェッショナルである弁護士が動くのです。
客観的、倫理的であるか判断する裁判官が必要なのです。





ブログで自分の考えを主張して、批判されることは怖いことでしょうか。
批判と否定の違いを理解したならば、畏怖するものではないと思います。
むしろ、黙って他人の意見に同調・追従する方がいけません。
その方が私としては、よっぽど恐ろしい。

最近、学校では「正しい議論」がどんなものなのか教育されていない。
それは違った意見を排除しようとする思考を培ってしまう要因になりかねない。
「空気読めよ」が日本をダメにした、という言葉もあります。

批判を否定と捉えてしまうと、議論することを恐れてしまいます。
同様に、テスト用紙の赤い✓を否定と見て、失敗を恐れるようになります。
そうして議論もせず、失敗もせずに成長していき、大人になって苦労するのです。


周囲の人と上手くいかない、協調性の欠如。
他者を思いやらない、自己中心的な考え。
失敗に耐える事のできない、脆弱なメンタル。
正しい善悪の判断が出来ない、賢さの欠如。





現実にも、ネット上にもいろんな人がいます。
ですが議論や意見を交換する際に、批判と否定の違いを理解しておきましょう。

もしあなたが傷付けられる言動を投げかけられたとき。
その言葉が批判なのか、否定なのかは判断出来るようにしましょう。
もし批判であるなら、自分の成長のために活かしましょう。
それが否定であるなら一個人の意見に過ぎないので、気に留める必要はありません。

その判断が、必ず人生の糧になる。
その糧から学ぶ意識をもてば、賢さに繋がる。
賢くなるにつれて、その経験が精神力に繋がるのです。



*広辞苑より

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