チームの価値とは。

私が理解しかねることが、チームのかけもち。

パルクールのチームについて、いろいろと議論はあります。
私がパルクールを始めた当初、いろんなチームを見つけてすごく違和感を覚えたのがこれ。
「あれ、この人。さっき別のチームにいたような…」

今でもチームのかけもちがよくわかりません。
「チーム」と「仲良しグループ」は一緒ではない。
チームに属することが何たることか。
そして、なぜチームを立ち上げたのか。
そういったことは考えているのだろうか?

北海道のパルクールチームを見て、一番顕著なのが個々の差別化がしっかりしていること。
練習会で合流した際に「JIN流」だとか「よろず屋流」という言葉が出ます。
つまり、個性があるということ。
チームが生み出すのは、個性ではないでしょうか?





では個性という価値が生まれるのであれば、チームのかけもちはアリではないのか?
既存のチームで得た個性を新たに発展させることが出来るのではないか?


そう考えることも出来ますね。
ですが、その「新たな個性の創造」は何をもたらすのでしょうか。

もしも、新たなチームで個性のほかに何かしらの価値を生み出すとしたら?
それはパルクールの根幹に、相容れぬものなのではないでしょうか。





まずひとつ、パルクールそのものに反するということ。

肉体的にも精神的にも強くなる、それが大目標。
そのためのプロセス(小目標)は当然、トレーニング。
ではトレーニングは、どれだけ行えばいいのでしょうか?
1年?5年?10年?それ以上?

そこで多くの人は「パルクールには終わりがない」と思うのではないでしょうか。
自分が強くなっていくことに限界を感じないから。

それならば、思いをこめて作ったチームにも等しい価値があるのでは?
成長するためには何かを見て学び、何度も軌道修正してきたはず。
トレーニングにしろ技にしろ、試行錯誤を繰り返してきて体得してきたはず。





同じように、チームもともに歩んできたはず。
だから上手いチームには技と体があり、心である個性があると思う。
その個性は、そのチームにしかない。
だから"個"性という言葉を使う。

終わりがないのならば、パルクールに関すること全てにも終わりがないのでは?
トレーニングや技には流行や革新がありますが、それが廃れて消えることはない。
なのにチームは流行や革新に伴い、消えてしまうのでしょうか。

ヤマカシは名前としては消えましたが、「Majestic Force」として生きている。
そこにはヤマカシで生まれた個性とチームの名前が残っています。

今のパルクールに「移動の芸術」という言葉が当てはまるかわかりませんが…。
もし芸術として評価出来るならば、技だけに価値をつけていいのでしょうか。
それ以外に個人として、あるいはチームが生んだ個性やブランド力も価値の判断基準になるのではないでしょうか。





そしてもうひとつ、協調性に反するということ。

チームとは2人以上の人間がいることがほとんどだと思います。
そこでは必ずチームとして動くために、協調性が必要なはずです。

パルクールには「周囲にある環境で様々な動作を行うことで心身を鍛えていく。 自分を守るための力であると共に他者を守る力として身に付ける事を基本とし、常に他者を思いやり助ける心を育むことを目的としている(Wikipediaより 2012/3/1現在)」とあります。
つまり、自分だけでなく他者を慮る必要があります。

チームに属しているところから、新たなチームを立ち上げて所属する。
これは少なからずチームの輪を乱すことになるのではないでしょうか。

チームとは個性を生み出すものと言いました。
それだけなく、「ファミリー」を生み出す場所でもあると思います。
「仲良しグループ」と「チーム」の違い。
それは、「何か共通の目的をもって同じ方向に進んでいく存在」であるか否かです。





「パルクールに終わりがない=目標が尽きることはない」のであれば。
それはつまり、「パルクールのチームにも終わりがない」こと。
パルクールのために生まれたのならば、その価値はパルクールに付随するから。

そこで特定のメンバーがチームをかけもち、あるいは新たなチームを発足することは。
チームの個性やブランドを失わせ、パルクールに必要な協調性をも失わせる。

さらにチームに所属する「ファミリー」を乱すことになりかねない。
また「ファミリー」である仲間を傷付けることさえある。
目の前の目標も達成せずに、新たな目標を立てるべからず。

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No title

初めまして、タカマサという者です。うまく言い表せないのですが、どうしても気になることがあったのでコメントさせて頂きます。
チームのかけもちについて”新しい個性の創造”とありますが、もしそれが”もとから持ち合わせる個性”だった場合はどうなのでしょうか?
チームの方向性と己の個性が合わない部分があるが、それは少々であり大体は自分に合っている。しかしその少々がどうしても譲れない。その場合はかけもちをするしかないのではないでしょうか?
狭い視野に囚われていると思うかもしれません。ただ己の根幹に位置するものは簡単には変えられないと思います。
私自身の理解不足なところもあるとは思いますが、可能であれば回答宜しくお願いします。

No title

>タカマサさん
はじめまして、コメントありがとうございます。

>チームのかけもちについて”新しい個性の創造”とありますが、もしそれが”もとから持ち合わせる個性”だった場合はどうなのでしょうか?

「もとから持ち合わせる個性」とは「個人に対する個性」のことではないでしょうか。

例えば、私とタカマサさんの2人のトレーサーがいます。
私には私のスタイルがあり、タカマサさんも同じく。
私の個性とタカマサさんの個性は、他人の目に何かしらのかたちで映っているはずです。

ここで私とタカマサさんがチームを組んだら、どんな個性が生まれるでしょうか。
それは個々の個性をもとに考えても、結成して活動してみなければわからないと思います。
「あの2人だから○○なチームになるね」と想像されたとしても、実際はその通りになるとは限りません。

つまり、個人のレベルで見た個性を持ち合わせてチームの個性が生まれるわけではなく、集団のレベルで見た個性が、私がいう「新しい個性の創造」につながるということです。

>チームの方向性と己の個性が合わない部分があるが、それは少々であり大体は自分に合っている。しかしその少々がどうしても譲れない。その場合はかけもちをするしかないのではないでしょうか?

これは「集団に対して不満がある場合、個人が別の集団に帰属することは許される」ということですね。
個人レベルで起こる不和が問題なのではなく、ひとつの集団として問題を解決するべきだということです。

チームで起こることは、そのチームで解決するべき。
チーム内で解決できないからといって、新たな集団に属することはそのチームにおいて協調性が欠如していること。
問題があるならばまず提起をして、個人の問題をチームで解決していくのがパルクールチームにおける協調性だと言いたいのです。

話し合って解決しないのであれば、妥協をするしかない。
世の中、自分の思った通りにはなりません。
妥協して、それを享受し、集団のなかで生活するのが協調性です。
「ゆずれないこと」を言い分にしてチームのかけもちに走るのは、ただの自分勝手です。


余談ですが。
私はこの記事で、「集団に属する個人」を対象にしていません。
「集団を個とした場合、異なる2つの集団の間に起こること」として、パルクールに反すると議論を展開しています。
協調性に関しては「集団を個とした場合、起こりうる問題点」としています。
タカマサさんがおっしゃる、「どうしても譲れない場合はかけもちをする」ということは「個人を個とした場合、集団で起こること」になります。

わかりにくい点や質問等あれば受けますので、遠慮なくどうぞ!
長くなってしまい、申し訳ありませんでした。

No title

お忙しい中時間を割いてまで回答して下さったのに返信が遅くなってしまい申し訳ありません!!
確かに私は「集団に属する個人」に焦点をおいて疑問を投げかけておりました。根本からはき違えてしまったにも関わらず一つ一つ丁寧に回答して下さってありがとうございます。個人であることと集団であることが私はごちゃ混ぜになっておりました。
改めて、回答して下さってありがとうございます!
プロフィール

鞍馬

Author:鞍馬
「天竜よろず屋」代表。
鞍馬のプロフィールはここ!
長野県の南部、北海道の道東で主に活動しています!
パルクールに興味のある方はお気軽にご連絡を♪

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こちらからホームページに行けます。

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鞍馬の連絡先:
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