チームの価値とは。
私が理解しかねることが、チームのかけもち。
パルクールのチームについて、いろいろと議論はあります。
私がパルクールを始めた当初、いろんなチームを見つけてすごく違和感を覚えたのがこれ。
「あれ、この人。さっき別のチームにいたような…」
今でもチームのかけもちがよくわかりません。
「チーム」と「仲良しグループ」は一緒ではない。
チームに属することが何たることか。
そして、なぜチームを立ち上げたのか。
そういったことは考えているのだろうか?
北海道のパルクールチームを見て、一番顕著なのが個々の差別化がしっかりしていること。
練習会で合流した際に「JIN流」だとか「よろず屋流」という言葉が出ます。
つまり、個性があるということ。
チームが生み出すのは、個性ではないでしょうか?
◎
では個性という価値が生まれるのであれば、チームのかけもちはアリではないのか?
既存のチームで得た個性を新たに発展させることが出来るのではないか?
そう考えることも出来ますね。
ですが、その「新たな個性の創造」は何をもたらすのでしょうか。
もしも、新たなチームで個性のほかに何かしらの価値を生み出すとしたら?
それはパルクールの根幹に、相容れぬものなのではないでしょうか。
◎
まずひとつ、パルクールそのものに反するということ。
肉体的にも精神的にも強くなる、それが大目標。
そのためのプロセス(小目標)は当然、トレーニング。
ではトレーニングは、どれだけ行えばいいのでしょうか?
1年?5年?10年?それ以上?
そこで多くの人は「パルクールには終わりがない」と思うのではないでしょうか。
自分が強くなっていくことに限界を感じないから。
それならば、思いをこめて作ったチームにも等しい価値があるのでは?
成長するためには何かを見て学び、何度も軌道修正してきたはず。
トレーニングにしろ技にしろ、試行錯誤を繰り返してきて体得してきたはず。
◎
同じように、チームもともに歩んできたはず。
だから上手いチームには技と体があり、心である個性があると思う。
その個性は、そのチームにしかない。
だから"個"性という言葉を使う。
終わりがないのならば、パルクールに関すること全てにも終わりがないのでは?
トレーニングや技には流行や革新がありますが、それが廃れて消えることはない。
なのにチームは流行や革新に伴い、消えてしまうのでしょうか。
ヤマカシは名前としては消えましたが、「Majestic Force」として生きている。
そこにはヤマカシで生まれた個性とチームの名前が残っています。
今のパルクールに「移動の芸術」という言葉が当てはまるかわかりませんが…。
もし芸術として評価出来るならば、技だけに価値をつけていいのでしょうか。
それ以外に個人として、あるいはチームが生んだ個性やブランド力も価値の判断基準になるのではないでしょうか。
◎
そしてもうひとつ、協調性に反するということ。
チームとは2人以上の人間がいることがほとんどだと思います。
そこでは必ずチームとして動くために、協調性が必要なはずです。
パルクールには「周囲にある環境で様々な動作を行うことで心身を鍛えていく。 自分を守るための力であると共に他者を守る力として身に付ける事を基本とし、常に他者を思いやり助ける心を育むことを目的としている(Wikipediaより 2012/3/1現在)」とあります。
つまり、自分だけでなく他者を慮る必要があります。
チームに属しているところから、新たなチームを立ち上げて所属する。
これは少なからずチームの輪を乱すことになるのではないでしょうか。
チームとは個性を生み出すものと言いました。
それだけなく、「ファミリー」を生み出す場所でもあると思います。
「仲良しグループ」と「チーム」の違い。
それは、「何か共通の目的をもって同じ方向に進んでいく存在」であるか否かです。
◎
「パルクールに終わりがない=目標が尽きることはない」のであれば。
それはつまり、「パルクールのチームにも終わりがない」こと。
パルクールのために生まれたのならば、その価値はパルクールに付随するから。
そこで特定のメンバーがチームをかけもち、あるいは新たなチームを発足することは。
チームの個性やブランドを失わせ、パルクールに必要な協調性をも失わせる。
さらにチームに所属する「ファミリー」を乱すことになりかねない。
また「ファミリー」である仲間を傷付けることさえある。
目の前の目標も達成せずに、新たな目標を立てるべからず。
パルクールのチームについて、いろいろと議論はあります。
私がパルクールを始めた当初、いろんなチームを見つけてすごく違和感を覚えたのがこれ。
「あれ、この人。さっき別のチームにいたような…」
今でもチームのかけもちがよくわかりません。
「チーム」と「仲良しグループ」は一緒ではない。
チームに属することが何たることか。
そして、なぜチームを立ち上げたのか。
そういったことは考えているのだろうか?
北海道のパルクールチームを見て、一番顕著なのが個々の差別化がしっかりしていること。
練習会で合流した際に「JIN流」だとか「よろず屋流」という言葉が出ます。
つまり、個性があるということ。
チームが生み出すのは、個性ではないでしょうか?
では個性という価値が生まれるのであれば、チームのかけもちはアリではないのか?
既存のチームで得た個性を新たに発展させることが出来るのではないか?
そう考えることも出来ますね。
ですが、その「新たな個性の創造」は何をもたらすのでしょうか。
もしも、新たなチームで個性のほかに何かしらの価値を生み出すとしたら?
それはパルクールの根幹に、相容れぬものなのではないでしょうか。
まずひとつ、パルクールそのものに反するということ。
肉体的にも精神的にも強くなる、それが大目標。
そのためのプロセス(小目標)は当然、トレーニング。
ではトレーニングは、どれだけ行えばいいのでしょうか?
1年?5年?10年?それ以上?
そこで多くの人は「パルクールには終わりがない」と思うのではないでしょうか。
自分が強くなっていくことに限界を感じないから。
それならば、思いをこめて作ったチームにも等しい価値があるのでは?
成長するためには何かを見て学び、何度も軌道修正してきたはず。
トレーニングにしろ技にしろ、試行錯誤を繰り返してきて体得してきたはず。
同じように、チームもともに歩んできたはず。
だから上手いチームには技と体があり、心である個性があると思う。
その個性は、そのチームにしかない。
だから"個"性という言葉を使う。
終わりがないのならば、パルクールに関すること全てにも終わりがないのでは?
トレーニングや技には流行や革新がありますが、それが廃れて消えることはない。
なのにチームは流行や革新に伴い、消えてしまうのでしょうか。
ヤマカシは名前としては消えましたが、「Majestic Force」として生きている。
そこにはヤマカシで生まれた個性とチームの名前が残っています。
今のパルクールに「移動の芸術」という言葉が当てはまるかわかりませんが…。
もし芸術として評価出来るならば、技だけに価値をつけていいのでしょうか。
それ以外に個人として、あるいはチームが生んだ個性やブランド力も価値の判断基準になるのではないでしょうか。
そしてもうひとつ、協調性に反するということ。
チームとは2人以上の人間がいることがほとんどだと思います。
そこでは必ずチームとして動くために、協調性が必要なはずです。
パルクールには「周囲にある環境で様々な動作を行うことで心身を鍛えていく。 自分を守るための力であると共に他者を守る力として身に付ける事を基本とし、常に他者を思いやり助ける心を育むことを目的としている(Wikipediaより 2012/3/1現在)」とあります。
つまり、自分だけでなく他者を慮る必要があります。
チームに属しているところから、新たなチームを立ち上げて所属する。
これは少なからずチームの輪を乱すことになるのではないでしょうか。
チームとは個性を生み出すものと言いました。
それだけなく、「ファミリー」を生み出す場所でもあると思います。
「仲良しグループ」と「チーム」の違い。
それは、「何か共通の目的をもって同じ方向に進んでいく存在」であるか否かです。
「パルクールに終わりがない=目標が尽きることはない」のであれば。
それはつまり、「パルクールのチームにも終わりがない」こと。
パルクールのために生まれたのならば、その価値はパルクールに付随するから。
そこで特定のメンバーがチームをかけもち、あるいは新たなチームを発足することは。
チームの個性やブランドを失わせ、パルクールに必要な協調性をも失わせる。
さらにチームに所属する「ファミリー」を乱すことになりかねない。
また「ファミリー」である仲間を傷付けることさえある。
目の前の目標も達成せずに、新たな目標を立てるべからず。



